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2005 / アームレスチェア

2007 / ラウンジチェア 2006 / アームチェア

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日本の美学では、ディテールは入念に定義される。ディテールが全体を包含するからである。私が自分の椅子で試みたのは、ある程度構成的なディテールを示した簡単な構造を作り出すことである。たとえば、フレームと後の脚部をつなぐ「骨組み」で構成される楕円形の部分である。私は、日本の美学である簡素さと微妙な曖昧さが好きだ。私の椅子では背もたれと座面は透明な素材でできているが、それを本当に見通すことはできない。
Alberto Meda
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今回、日本の美意識として抽出しようとしたことは、自分の内にある日本人としての精神性、感受性、気配りのあり方、そしてその発露としての存在感です。
私たち自身は、簡素な表情を持ちながら、配慮や気配りが心憎いほどに行き届いているものに日本人の美意識を感じます。
見た目の簡潔さや奥ゆかしさかに対して、意外なほどの剛健さサービス精神を持つもの。シンプルな外見からは想像できないほどの快適さ、触れて使ったときに嬉しい驚きを提供すること。これがこの椅子の狙いです。
この椅子は一見非常に薄く、プラスチックラミネートされた成型合板のように堅そうに見えますが、座と背には柔らかいクッションが仕込んであり、柔らかな座り心地を持つだけではなく、長時間座ってもおしりが痛くありません。サービス精神は、視覚だけで完結するものではありませんので、物を通じた体験をすることで完結するデザインがを目指しました。
視覚的な印象と機能的な快適さの落差を体験することで得られる驚きと喜びを、椅子という形に凝縮できればと考えました。
AZUMI/Shin Azumi&Tomoko Azumi
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ディテールが椅子を作る。椅子はディテールから成り立っている。構造に使われている木材は、論理的かつ調和的に組み合わされている。全ての木材が構造を支えている。あなたが椅子に座る時、その一部に触れて感じることはできるが、あなたを支えているのは全ての部材だ。特に座面の板は座り心地に欠かせない。それは全体構造から少し浮き出ることで余裕と気軽さを作り出している。
Harri Koskinen
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もしこの椅子に日本の美学があるとすれば、それは私がこれまで日本で見た事や物全ての結果であると言えるだろう。われわれがデザインする物は全てわれわれが見てきたものに影響を受ける。つまり、私がデザインする物はその中に日本が含まれている。特に私が最近日本で見たものである。
黒川氏の「8 manifestations of the Japanese aesthetic」は私の興味をかきたて、オブジェの美という命題に対して日本で与えられた思想の複雑さに目を開かせてくれた。西欧に属するわれわれは、こうした事柄についての知識や思考が乏しく、オブジェを見た場合の議論も第一印象の域を出ない。つまり、「美しい」あるいは「醜い」といった感想がヨーロッパにおける議論の出発、レベル1であり、「とても美しい。この形や素材の組み合せ方が好きだ」という感想はレベル2ということになる。議論がレベル3まで行くことは稀であり、また、そのような高いレベルでオブジェについて語る者は胡散臭い目で見られることになりかねない。日本でも、黒川氏の言う8つの「manifestation」が語られることはあまりないだろうと想像するが、それでも、その存在自体が西欧よりも美学について深い理解があることを示している。
その伝で言えば、この椅子は日本そのものである。なぜなら日本で作られたからである。その理由は、その背後にある思想が日本で発生したものであり、日本の会社と日本人の技術者によって開発されたものであるからだ。それが広島の近くにある古い木の橋による影響を受けたとまでは言えないにしても、その形に至るまでにはさまざまな点で日本の影響があると言っておこう。
Jasper Morrison
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垂直と水平の明快さ。なんでもないけれど、美しいもの。
日本の意匠の特徴は、垂直と水平の明快な交わり。ただシンプルではなく、単純化してこそ豊かになるデザインに日本の美を感じます。また、昔からひきつがられてきた気持ちや思いを託す道具には、日本人ならではの奥ゆかしい美意識があるように思われます。
わたしにとっての日本の美意識や原風景は、自分の記憶の中にあります。その記憶をたどっていくと、子供のときにふれた木の感触を思い出します。
年月を経て朽ちた寺の濡れ縁の敷き板、板がすり減り表面がそったり丸くなった板、板の間の隙間、その表面を触ったときの木の感触は今でも覚えています。
椅子は視覚の美だけではなく、感触もまた大事な美意識のひとつです。
椅子は長く、愛着を持って使うべき生活の道具だから、素材も無垢のナラ材の肌触りと質感にこだわりました。
Kanji Ueki
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普段は特に意識することはありませんが、自分が意識していないことでも、海外の人から日本的だと評されることがあります。かたちといとうものに対する認識の仕方が違うような気がします。
Kazuyo Sejima+Ryue Nishizawa/SANAA
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「西洋と日本の二つの文化の葛藤」
空間をよぎる直截な仮構と身体が形づくル合板の面材が絡み合うことで生まれる間合いをイメージして生まれた椅子です。この小椅子には西洋が生みだした小椅子という巨大な存在に日本の美意識が乗り移ろうとする白日夢のようなイメージがあります。本当は合板の座と背をポリカーボネートなどの素材を用いて身体の尻と背の皮膚を剥いだような有機的な形をつくり直截な仮構に引っかかっているイメージを持っていたのですが、それはその次の発展形とすることにしました。投資額と生産量のバランスが見えないからです。日本人である僕が日本の美意識へのメッセージとして小椅子をデザインするとは僕の中の西洋の文化と僕自身の深層にある日本の美意識との葛藤を描くことだと考えました。その歴史に椅子を持たない日本人にはこのテーマは終わりのない苦悩に満ちた創造の道のりそのものだと感じています。
Masayuki Kurokawa
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好奇心、楽しさ、簡素さは、私にいつもインスピレーションを与えてくれる日本文化の特徴であり、私がいつも自分の作品に取り入れたい要素である。
私がマルニ木工のためにデザインした椅子「Qui e La」でこの試みが実現されていることを希望する。
Michele De Lucchi
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道具に徹するということのなかからにじみ出る美しさを日本人は深く愛してきました。装飾や華飾という意味に捉えられがちだったデザインは、今再び本来の日本人が求めてきた完結した機能美としてのデザインに回帰しようとしています。そのものの存在する状況下における適正な位置(姿)、この適正に徹する姿の極みが日本の美意識の根底にあるように思います。誰もが思い描く椅子というもののアイコンがどのような像であるかを考えてこの椅子のデザインをしました。「椅子らしい椅子」とでも表現したらいいでしょうか。できる限りその「らしさ」に徹してみたいという気持ちがありました。「素(す)」であることも日本の美意識には重要な要因であるようにも思いましたから、使われて汚れ、傷付き、角が磨耗してもなおその愛着を失わないような、「素(す)」はその使われる続ける日々のもと(白紙)のようなものであるべきであると思いこれをデザインしました。長く、さり気なく、あたりまえに存在するような椅子になってほしいと。それが日本の美意識なのではないかと思います。
Naoto Fukasawa
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私は、日本の社会で見られる調和の重視という価値観を称えてきた。人々が全体のために個人的な満足を犠牲にすることは他では見られない崇高な行為である。「JOIN」と題した作品で私が表現したかったのは、この配慮と調和の感覚であり、脚部と背もたれを一体化された連続的な部分として繋ぐことで表してみた。日本の美学に表れた統一性、調和、共存を表現した椅子がここにある。
Sean Yoo
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日本の美意識とは静けさを見つめ、質素なものに美しさを見いだしてきました。そこには自然をすべての模範とし、その微細な変化をよみとり、その流れのなかに生きてきました。
また日本の[家]とは仏教的に捉えると、身を入れるための[仮の宿]だと考えられてきました。人生も仮のものであり、人はたまたま[過客]としてこの世に生を受け、人生を全うしたならば、この世から消え、またもとのところへ戻るといった思考です。
「家とは辺りの生えた草を結んだもので充分である」と考え、その草の結び目が解けたとき、またもとの原野に戻るといったものです。すべてのものはこうしたビジョンのもとに生まれています。
この椅子は木材の板、そしてそこに生まれる表情に着目しました。木にはさまざまな美しさがありますが、板目のもつ美しさは特別です。それを生かすために形態を単純化し、脚部にスチールパイプを使用しました。
Shigeru Uchida
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私は、ミニマルなアプローチを通して木によってしか実現されない美しさを伝えようと思いました。木の質感、あたたかさ、柔らかさと堅さ、香り、そして軽さ・・・。これらの特質を寄せ木、曲げ木、組み木などさまざまな木の加工技術によって表現してみました。この椅子は日本の美というコンセプトをさまざまな角度から具象化していると思います。
Tamotsu Yagi
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